人は私を含めて自分が見たいように世界や人を見ています。

 

なので、各種SNSや、なんとなくのイメージで相手の印象を決めていたり

 

するものです。

 

私は好奇心旺盛で、体験しながら試行錯誤を繰り返し

 

失敗したり、成功体験を積み重ねることで、学ぶタイプなので、

 

なんだか動けない・・

 

という人から見たら、自信があるように見えるみたいで

 

「羨ましい」「すごいね」

 

とか言われます。*いつもスキあらばサボっているのはバレバレだと思うのですが・・

 

そして「自信がないから動けない」とも言われます。

 

しかし、基本的にはマイナス思考の慎重派

 

「自信がある」なんて思ったことは基本ありません。

で、ちょっぴり辛口ですが

自信があるからできる。

自信がないからできない。

 その次元で自分の選択をし続ける状態を

私は「傲慢」で

「独りよがり」と呼んでいます。 

全てを自信の有無のせいにしているからです。

そこから抜け出ることは、

すべての人が可能です。

私がその状態から抜けた大きな理由は

先をいく尊敬する先輩方が、

自分だけではなく愛する人や社会のために頑張っている姿を

感じ取ることができたからです。

そして、そんな先輩方が、表ではキラキラ見られているのにも関わらず

陰で誰よりも泥臭く、しかし楽しみながら、経験を積まれたことを

知っているからです。

そこに「自信があるない」など

なんの影響もないのです。

やりたいからやる。

叶えたい世界の姿があるからやる。

それだけです。

何だ、結局根性論かと思うかもしれませんが

そうではありません。

周りから見たら根性や努力に見えることでも

叶えたい願いのためにはその努力さえ楽しみであり喜びなのです。

『この泥が あればこそ咲け 蓮の花』という言葉があるのですが、
水だけではこんな綺麗な花を咲かせる事が出来ない。
苦労して悩む日々や、経験(泥)があるからこそ咲く大輪の花もあると言うことです。

「私を生きる」

「好きなことしかしない」

それで良いと本当に思います。

でもそれで現実が変わらない人をたくさん見てきました。

なぜでしょうか。

本当の意味で、私を生きていないし、好きなことをしていないからです。

私を生きるということは、五感が喜ぶことではありません。

それは一瞬の快楽にすぎません。

「私を生きる」とは

生涯、叶えたい願いのために今を生きることだと考えます。

私は今も自信などありません。

特に欲しいとも思いません。

しかし、自信のない自分を

あるがままに感じることができるようになりました。

あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。

私は、弱いなぁ、ずるいとこもあるな。

とか思いながら、でも行動を変えることはしません。

なぜならば、自分の本当の願いを知っているし

それを共に叶えたい仲間がいるし

何よりも、試行錯誤しながら大変なことを

共に歩むことに価値を感じるからです。

それを一回でも味わったら五感のワクワクなど

比べものにもならないのです。

私は、感情の先にある体験こそが人生の醍醐味

だと思います。

では、どうすれば重い腰をあげることが

できるのでしょうか?

 どうすれば、自分自身と

信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?

 その答えは極めてシンプルです。

②に続く

自信がないからできないということについて思うこと (後半)